鳥の家(とりのいえ)

鳥の巣をつむいで、飛んだり、鳴いたりする記録

カテゴリ: 人生ってそうだったのか

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最近は精神が老化してきて、不確実な事態に出くわしたとき不機嫌になったり、投げやりになったりします。

きっと予定が変わって焦ったり、今やるべきことが分からなくなったりするからなんですよね。対応する集中力とや持続力もなく、何より体力がない。

これが進むと、役所や図書館で怒鳴り散らす暴走老人になるわけで、これは避けたい。本当に避けたい。

なので加齢対策として、不確実性に耐える訓練をしています。たとえば否定されたとき、突然別の予定が入ったとき、何かを頼まれたとき、スマホがないのに気づいたとき、ホチキスの芯が切れたとき、「あ、今イラッときそう。すぐに反応してはいけない!」と思う。それから、「それってすぐ対応すべきことかな。」と検討する脳内会議を開く。そして、とりあえずメモしとく、みたいな感じで忘れないようにして、未解決なまま抱えておく(すぐ解決できるものはする)。もやもやの気持ちも、修行だと思って抱えておく。(すると大抵のイライラは収まる)。

若いときは瞬時に優先順位がつけられて、冷静に対応できていたんだと思う。今は時間が必要だけど、時間があれば何とかできる。もちろん処理時間が遅いので対応は遅れる。だから、仕事量やペースを減らさないといけない。人にも待ってもらわないといけない。

そう、あらかじめ時間に余裕を持つことで、暴走化はかなり制御できる。お年寄りがスローになるのは、意味があるのですよ。

不確実性に耐える。精神鍛錬の修行。老年期も忙しいな。新しい課題がどんどんでてくるぞ〜。


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母は軽い認知症の状態で3年前にぽっくりと亡くなったんですけど、もし母が生きていたら、という世界線の夢を見ました。

私は母と車で海辺の町へ来ていて、足腰の弱った母はほとんど歩けず、私が支えたり抱いたりして散策するのですが、岩場の階段ですぐに足の指を打ってしまい、そのたびに母は子供のように「痛いよう~痛いよう~」とすがり付いて泣くのでした。

母が子供のように泣くので、私は母親のように「痛いね、痛いね」と言いながら抱いて慰めます。でもそのうち、母がかかとで滑って階段を降りようとしたりして、つまり遊んでは滑って足の指を打って泣いて、というのを繰り返していることが分かりました。

母は、子供のように遊びたかったのだな、そしてぐずぐずと親にすがって泣きたかったのだな。だって、母は小学校のときに自分の母親を病気で亡くしていたから。きっと、ずっと、そうしたかったのだな。

そして、小さくなった母をお姫様抱っこして、車に戻るところで夢は終わりました。

夢の中で母の願いをかなえてあげられた気持ちがして、気持ちがすっきりしました。母が本当に生きていたら、しんどい現実があってこんなにゆったりした介護はできなかったかもしれないし、これは夢でよかったな。緩い海風の感じだけが心に残る、そんな朝でした。









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偶然youtubeで見た、アメリカとカナダのドラッグ問題のドキュメント番組。

路上が「死を待つ人々の家」になっていた。

でもナイチンゲールはいない。悲劇は何度も繰り返す。

目の前の人間を助けることができないと、人の心は荒むものだ。そして壊れていく。

全員が試されている。全員が問われている。

なぜすべての命を平等に守らないといけないのか、思い知らされている。





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気温35度の庭を観察していると、終末は近いなと思います。

猫はやせ、虫が減り、花が咲かなくなり、突然枯れ、なんてことが増えている。食料が育たないし、家畜も外飼いは無理になる。

人間の体内のタンパク質の変性は、42度から起こり始めるらしい。ほら、もう人の最後も近い感じだよね。猛暑日に停電があれば、貧乏人から順に自然淘汰される。

□ ■ □

富裕層でない私は、飢えて死ぬか熱で死ぬか。  

なんか仕事なんて真面目にやってる場合か? 否!

ああ、悔いのないようウクレレ弾きまくって楽しい思い出とともに死にたい。

美味しいご飯を作り、大切な人たちと遊び、そんな毎日の中で大騒ぎしながら死にたい。

今日は頭がボーッとしてメメントモリな日でした。

母の登山記録
親のことを見ながら生きると親の呪縛から逃れられない、とは思いつつ、人生の後半になって怒涛の老化現象が迫ってくると、こんな時期を親はどう生きたのか、とふと思います。

母が亡くなったとき、山登りを趣味にしていた母には大量の登山写真が残されていました。あまりに膨大すぎて処分に困ったのですが、見ていて気付いたことがありました。

「これは記念写真ではない」ということ。

主要な山の山頂には標柱があって、山の名前と標高が書いてあります。これを必ず撮影しているのです。日付の記録もつけて。これは記録だ、と分かりました。

そこで撮影日付と山の名前、標高を元に、登った山の棒グラフを作りました。それが上の図です。

これは、立派な遺言じゃないですか? 私はこう生きた、という遺言。

母は、50代のころ体力測定で垂直飛びをしたらひざの半月板にひびが入り、そこから山登りを始めました(結婚前のころも登っていたけど)。

とても真似できないので白旗を挙げながらも、最後まで体力の低下に抗(あらが)った母の生きざまをしかと感じました。

 当分トイレに貼っておこう(笑)。

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