鳥の家(とりのいえ)

鳥の巣をつむいで、飛んだり、鳴いたりする記録

カテゴリ: 人生ってそうだったのか

母の登山記録
親のことを見ながら生きると親の呪縛から逃れられない、とは思いつつ、人生の後半になって怒涛の老化現象が迫ってくると、こんな時期を親はどう生きたのか、とふと思います。

母が亡くなったとき、山登りを趣味にしていた母には大量の登山写真が残されていました。あまりに膨大すぎて処分に困ったのですが、見ていて気付いたことがありました。

「これは記念写真ではない」ということ。

主要な山の山頂には標柱があって、山の名前と標高が書いてあります。これを必ず撮影しているのです。日付の記録もつけて。これは記録だ、と分かりました。

そこで撮影日付と山の名前、標高を元に、登った山の棒グラフを作りました。それが上の図です。

これは、立派な遺言じゃないですか? 私はこう生きた、という遺言。

母は、50代のころ体力測定で垂直飛びをしたらひざの半月板にひびが入り、そこから山登りを始めました(結婚前のころも登っていたけど)。

とても真似できないので白旗を挙げながらも、最後まで体力の低下に抗(あらが)った母の生きざまをしかと感じました。

 当分トイレに貼っておこう(笑)。

母が認知症になったとき、服薬管理という言葉を初めて知りました。毎日決まった時間に、決められた薬をのむ。これがなかなかできなくて、服薬アラーム「おくすり飲んでね」を市から借りたり、服薬確認のためにヘルパーに来てもらったり。

で、今は私も毎日薬を飲む身分に(笑)。無理、無理!確かに忘れてしまう。ペンで記録を残すことで、何とかのめています。

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昔好きだった長渕剛の歌に「僕のギターにはいつもヘビーゲージ」」があります。若者文化の象徴だった長渕さんが、自分の老いを感じたときの哀愁漂う空気。とても心に響きます。

薬をのんでいるとき、その歌の「ビタミン剤を たらふく飲んでる 人の群れが 時間を泳ぐ」という一節をふと思い出したりします。

久しぶりに聴くと心がキューッとなりました。FMラジオから録音したカセットで、繰り返し聴いてたな……。

https://youtu.be/fWYUhZ4lUT4?feature=shared

そしてウクレレをやっている今は、「そうか長渕さんのギターはヘビーゲージ張ってんだ」としみじみ思う。私のウクレレにはいつもミドルゲージです(笑)。

最近「ChatGTPやりすぎて精神分裂症状になった人がいる」という話を聞いて、さもありなん、と思った私。

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自己催眠をずっとすると無意識の連想が止まらなくなり、脳内からメッセージがダダ漏れし始めます。

いや、もうメッセージいいから。洗濯物たたまないといけないし、ご飯も炊かなきゃいけないんで。

ということで、しばらく前世療法を楽しんだけど、無意識のドアを再び閉じることにしました。もうメッセージ送ってくるなよ!(自分に言い聞かせてる)

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たまたま岡山に引っ越して来たセルフ前世療法の先生。私の家にもたまたま来て、何となく刺激を受けて、私もセルフ療法(自己催眠)をするようになりました。

とはいえ、本当に正確な前世が見えているとは思ってない。前世を妄想・連想しながら自分の無意識にアクセスする、という感覚です。

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人の意識の70-90%は眠っているそうです。それは種子と同じで、成長しなければ硬い種のまま。自己催眠だと、自分が固く閉ざしている意識までは開(ひら)けないけど、ヒントぐらいはもらえます。

私の前世は〜、という設定は妄想しやすいから結構入り込みやすい。ホントかよ、と疑うより、こんな前世あったらおもろいな、くらいの感じで積極的に連想するとアクセス力が高まるんですよね。

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自分の悩みの解決の場合は、最近は「前世が〜」などと解釈するより、直接無意識さんに「どうしてこうなの?」質問して答えを(自己催眠で)いただくようになりました。無駄なく早い!

一方、他人との関係性や課題をみるときは、前世の連想が分かりやすい。あと、今の自分の常識を覆すような答えがあるときとか。

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さらに、心の葛藤を抱えている(何かをこじらせている)人に会うと、その人の無意識からのメッセージも想像できるようになりました。

私は興味なくても、向こうからすごく自分語りしてくるので、私までうなされるように。ある時その人の無意識さんと対話する連想をしたら、それらしい答えが出てきて、私も頭痛から解放されたのです。

お、これで商売できるじゃん、私(笑)。

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自己催眠というのは、覚醒と睡眠の間の半覚醒のこと。年を取ると眠りが浅くなるので、自己催眠やりやすいです(笑)。

自己催眠に誘導するとき体の緊張も解くので、よく寝られるようになるのもありがたいんです。これだけでも現世利益あるね。

気分イレブンアクセス試そうか、なんて歌もあったなあ〜(遠い目)。


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ある年齢に達すると、男はジョギングを始め、女は登山を始める。

体育会系の人の話だと思っていたけれど、中年期の急激な体力の低下に直面して、もしかしてこれは私も例外ではなく向き合うべき問題ではないか、と思い始めました。

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先日検診に行ったとき、恐ろしいポスターを発見しました。

「わが県の女性の平均寿命は88歳。健康で長生きを!」

げー! 88歳? あと…35年以上! 50代にして「体力なくて…」とか寝てる場合じゃないのでは。いや、これは体力を再構築するプロジェクトが必要不可欠じゃないか。これが中年クライシスのラスボスなのか!

ブログをさかのぼると、すでに40代から「冬に3回風邪ひきました」「検診で胃に異常が」「体力なくてしんどい」とか弱音は気まくりの私。体中からアラート鳴りまくってました。がんの発症は最後通告であったのだな…。

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だって、汗をかいて服を着替える、というのが面倒だし、運動服買うとかさばるし、うだうだうだ…。

どこから始めるべきか。きっと、時間をつくるところから始めるべきなんだろうな。

よし、朝に運動しよう。たとえば朝5時に起きる。朝型に転換するところから始めよう。朝に運動して、シャワーを浴びて、服を着替える。これを7時までに終えるようにする。どうだ!

そして、まずはイメージトレーニングからだ! 近くの公園まで歩いて、運動意識高い系の人のエネルギーを浴びる。いいぞ、吸って、吐いて、吸って、吐いて。ふーっ。そして戻ってくる。あ、雨が降り出した。雨の日はどうする? え、どうするの~?

そして服も買わなければ。着替えは何枚?ズボンはどんなの?

はあ、やっぱ面倒くさいかも……。いや、今度は本気でやろう。本気でやらないと、残り35年を死んだように生きることになるしな…。

と、思いつつ10年前の投稿を見ると、「体力が不安だから山登り始めるか」と書いてある。永遠のゼロだな、私の運動計画w


 


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