鳥の家(とりのいえ)

鳥の巣をつむいで、飛んだり、鳴いたりする記録

しがらみ考

脳内散歩

今日は低気圧のせいか、何もする気の起きない1日でした。仕事も手につかないので、ちょっと(いや、ずっと、笑)ネットを見ていたら、「なぜ日本人は幼児的なのか」という、在野の研究者っぽい永井俊哉さんという人の論文を見つけました。
 
 なるほどと思うところも、強引なところもありますが、読者とのコメントの応酬までが結構面白くて全部目を通しました。

  日本に戻ってきて自営業を始めてから、このブログではよく「しがらみ撲滅!」とか吠えていましたが、しがらみも甘え文化の一部なのだということを再確認。「この世を恨んで死んだ人が『神様としてあがめてくれないと祟るぞ』とさらに甘えごとを言い、また生きた人も言われた通り神様として奉るのは日本だけ」のくだりはとても笑えました。死人も甘える国って(笑)。

 こういう日本文化論は学生のころに少し読んでいたけど、その頃は経験がないから著者の言うことを「信じる」か「信じない」かという選択しかありませんでした。でも今は、40年間の経験と照らし合わせて、そうだなと思う部分は楽しんで読めるし、違うなと思う部分は笑ってスルーできる(笑)。年を取るって本当に楽しいと思います。

 この論文では日本人の未成熟さや幼児性を指摘して「国際政治など対外的な場面では大人にならないといけない」と書いています。まあそれはそうでしょうね。ただ、私生活の場面などで「未成熟」「幼児的」といわれる部分は、必ずしも直す必要がないことも多いと思います。

 大人になっても子供の心を持っていることは、日々を楽しく暮らすには新鮮でいいと思います。ただ、大人な部分も一緒にバランスよく発揮しやすい社会になればいいのかな、と。「大人」を基本としつつ、「子供」機能(のよい部分)も失われていないハイブリッド型になるのが理想だなーと思います。

 だいたい子供は大人より自然状態(本能的な生き方)に近い状態だから、ストレスも少ないと思うんですよね。人が作った不完全(そして不自然)な規範にギッチリ縛られて、枠にはまらない人は振り落とされる、というような父系社会が極められると、ストレスも大きそう。

 だから、父性社会へ向かって成熟しろ、とは言いたくなくて、父性的な部分もこれから育てていこうね、という感じ。こういう発想は母性的でしょうか(笑)。

 
 

日本流・正義の壊し方

仕事してると、意図的にその場の「正義」を壊している人をよく見ます。これって日本(というかアジア)ならではのやり方なのかなあ。最近、正義心をへし折られてしまった先輩の痛々しい姿を見て、とても複雑な思いをしました。

以下は、思いついたものを箇条書き風に書いただけです。

□   □

全員が納得するルールをつくり、全員で守るのが正義。

納得しない人が増えると、ルール自体が間違っていると言い始め、秩序が壊れる。

ところで、世の中には、人の心を動かすことでルールを動かせると知っている人がいる。

ルールを壊したい人は、誰かを権力者に祭り上げ、その人の言葉に従うことでルールを壊し始める。ルールより「権力者の発言の方が正しい」という空気を作る。そして空気を読む人々は、有利な方へ流れ始める。

ここでいう「権力者」とは、真の権力者ではなく、いつか人の上に立ちたいと狙っている権力欲のある人。正義心から立ち上がったのではなく、欲望を刺激されただけ。

やがて既存のルールがひっくり返ると、それまでルールに従っていた人は失望して争いから降りるか、抵抗して戦い続ける。でも理は通っていても、人心を操ることに長けていないので、多分負ける。

代わりに抜け穴だらけで利権がからんだルールが敷かれる。当面はそれでうまく回っていく。

長期的には、抜け穴から思わぬ失敗や大事件に発展し、又は歪んだルールによって権利欲がより刺激されて汚職が進み、抑えきれなくなる。

そこへ権利欲の強い別の派閥が台頭し、また混沌状態になる。

□   □

原発事故を見ていても、事故のレベルを低く判定したり、都合の悪いデータを非公開にしたり、数値を少しでも小さく見せようとしたりするのは、「正義」のためにしているのではなく、人心をコントロールして場を収めるためにしているのだろうと思います。それは習性であって、緊急時にはなおさら本性が現れるということだと思います。

絡んでみた週末

今週末はヒマなわけではなかったけれど、ツイッタ―でカラミ好きの学生さんに絡んでみたら、すごく絡みつかれて、わたしもぐったり疲れてしまいました。

やっぱこういうのは本当にその人のことを心配したり愛している人じゃないと、まともに受け止められないなー。私はその学生さんへの愛が足りなかったので、早々に退散しました。

絡む人というのは、本当はしゃべっているのとは違うところに怒り(悲しみ)の源泉があって、でもそれを(意識的か無意識的か)封印しているので、うわべの話題をいくら討論しても永遠に答えは出ないし、その間に相手から容赦ないマイナスエネルギーをガンガン浴びてしまう。

こういうエネルギーは、1人では受け止めきれないものが結構あって、生半可に一対一で対峙すると危ない、と今回も思いました。見ず知らずの人のカラミを受けてはいけないですね。ほんと海老蔵になっちゃう(笑)。

黙って生きていても絡まれることはあるのだから、必要ないときにわざわざ自分から絡まれに行くのはやめよう、と思いました。自分のエネルギーは、友達とか家族とか本当に大切な人の気持ちを受け止めるために取っておきます。

縛り、縛られ、貸しと借り

帰国して以来3年間、日本の生きづらさの源泉である「しがらみ」の解明、回避、壊滅(いわゆる3K、笑)を目指してきた私ですが、今日もしがらみの糸をはきだすクモを見つけました。

それは「借り」と「貸し」の2本の糸を巧みに操るクモです。基本的には「貸し」で相手をがんじがらめにして、自分の都合のいいときに相手を利用できるようにする(借りを返してもらう)のが手口です。

まず、積極的に「貸し」を押し売りしてきます。例えば道を教えてもらっただけなのに、料亭の懐石料理をお礼にふるまうような人は、小さな借りを返したふりをして、「貸し」を押し売りしているケースあり(単にプレゼント好きな人もいるけど)。

私のように「あのー、そんなに食べられないんで結構です」というようなそっけない人は「かわいげのないことを言わず、人の恩は素直に受けておけ」と逆切れされて しまう。要注意。

で、クモ型人間は困ったことがあると、この「貸しリスト」から一番役に立ちそうな人間をピックアップして「困ってんだけど、何とかならない?(ほら、この間○○をやってあげたじゃん)」とお願い調で迫ってきます。

□   □

最近、業者選びをめぐってクモ型人間と対立していました。クモ型の人は自分にとって「貸し」を作れそうな業者をゴリ押ししてきて、私は効率と技術と価格で業者を選ぼうとしていました。話は噛み合いません。業者選びの目的が全く違うから。ぐったり。

クモ型の人は、「貸しリスト」と「借りリスト」に入っている人としか付き合わない、というスタンスです(そして、リストに入れた人数が多いほど、自分は人脈の広い人間だ、と思っています)。選択肢の狭さに、泣きそうになります。公共的な仕事をするときに、そんな偏狭なリストから人選をするなんて…。

「貸し借り」を増やすことにやっきになり、本来の目的を失った人が周りには結構います。特に一部の仕事、政治の関係。日常的なもたれあいが好きな人たち。

そういう人から押し売りされた「貸し」の糸は、(「ありがとうございました」というお礼の言葉とともに)「KY」のハサミでちょん切る、というのが私のやり方です。世の中をシンプルに生きるのは、本当に難しいなあ。
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Profile
瀬戸内海沿いの町に住んでいます。世界中から私の町にやって来る人と、各地に飛んで行って生活している人たちが、自由に出入りできる「とりのいえ」をつくりました。

今はアドバルーンのように打ち上げているだけですが、いつか本物のとりのいえを作りたいなあ。

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