鳥の家(とりのいえ)

鳥の巣をつむいで、飛んだり、鳴いたりする記録

カテゴリ: 絵、音楽、映画など

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認知症の始まりつつあるお年寄りの家に行ったとき、「私、ウクレレ始めたんです。でも五線譜が苦手なんですよね」と言ったら、オルガニストでもあるその人は、すっと手を出して言いました。

「ミ(親指)、ソ(人差し指)、シ(中指)、レ(薬指)、ファ(小指)」

「ファ(親指と人差し指の間の溝)、ラ(人差し指と中指の間)、ド(中指と薬指の間)、ミ(薬指と小指の間)」

つまり、5本指を五線譜に見立てて覚えるんだよ!ということでした。

その瞬間、その人の声の力強さに、キラッと命が輝くのを感じました。

覚えた?言ってみて!と言われ、恐る恐るリピートすると満足そうに聞いていました。

こういう時間、ちょっと泣けてしまいますね。命が輝いているから。



最近ボーッとしたくて、ボーッとできる小さな図書館で、たまたま「記者、ラストベルトに住む」という本を読みました。


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トランプの第1次政権を支えていたアメリカ中部の白人層。その衰退と貧困の実態を知るため、記者がラストベルト(衰退した工業地帯)に住んで取材したルポ。

読んでいて、泣きそうな気持ちで胸が塞がれました。

真面目に働き、アメリカの経済を重工業や農業で支えていた人たち。なのにグローバリズム経済を進めるリベラル・エリート層に仕事を潰され、見捨てられ、荒廃し、絶望し、ドラッグとアルコールで正気を失った人々。

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2002年に私がアメリカへ留学したとき、すでに国内の貧困問題は始まっていました。給与収入だけでは生活できないのが当たり前。投資をして初めて生計が賄える、と先生は言っていました。

私が「給料だけで生活できない社会は正しくないのでは」と書くと先生は「そうですね」とだけコメントを残していました。

そのころ好きだったカントリーバンドDixie chicksの歌「Long Time Gone」は、中西部の人々の憂いのような、地方の少し閉塞した空気を歌っていましたhttps://youtu.be/2c5b8ZtjwwY?feature=shared

本を読んでいると、昔私が感じた疑問や、Dixieの歌や、真面目だからこそドラッグに呑み込まれてしまった人たちのことを思い出して、心が揺さぶられてしまう。

トランプがいい政治家とは言えないけど、トランプを生み出したのは血迷った快楽主義者ではなかった。真面目で不器用だからこそ虐げられてきた、古き良きアメリカ人だった。私たちが昔憧れた、アメリカ人だった。

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もっと怖いのは、日本も米国の政策を継承するであろうこと。日本の製造業の資産を吸い上げ、労働市場で中抜きし、農業の保守体制を解体することによって。 

ドラッグは、意図的に流されるものなのかな。日本にも持ち込まれるのでは?正体の見えない闇が、日本にも近づいているのではないかな。

ボーッとしたかったのに、「ボーッとしてんじゃねえよ!」と叱られた気分です(笑)。

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写真投稿のテスト中。これは主(あるじ)なき象舎。お花で作った象の像。つたない感じがいじらしい。

もう少し、自己催眠の世界の夢語りをします。連想が次々に続くので。

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楽器は、道具から生まれて楽器として独立したものが多い。その道具のひとつは、武器でした。特に私は、弓と縁があるようです。

高校では弓道部にいました(これは現実の話)。

射るときのものすごい集中力(射殺してやる〜という感じの)と、矢の鋭くまっすぐな力が好きで、その空気感に魅了されていました。

ウクレレの中でも、ピンピンと弾くピッキングが好きで、しかもテンションの高い速弾きに興味があるのも、私が武器系の楽器を好むからかもしれません。

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私の学んでいるウクレレの奏法も、先生のレベルは、演奏しながら歌い踊るなんていう牧歌的な雰囲気を拒絶するような速弾きなんですよね(笑)。

仏教で言えば小乗仏教のような、自分だけが高みに登って極めていく感じです。

練習会に行くと、ある人が「自分はそろそろ自分だけが高みに行くのをやめて、ほかの人と一緒に弾いたり歌ったりするのを楽しみたい」と言っていて、そうね大乗仏教もいいよね、と思ったのでした。

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演奏は時代や緊張感、環境によっても変わっていく。自分が何を好んでいるのかも、自分の精神の反映なのかと思うと面白いなと思うのです。

ちょっと前、打楽器奏者の人から「音楽をやめて射撃を始めた」という話を聞き、それも面白い、と思ったのでした。

周りの人は「なんで音楽から武器に」と驚いたようでしたが、音楽の源流に戻ったんだろうな〜、あの人は。

前世療法とウクレレからの連想(妄想)の続きで、今日は音楽についての無意識との対話を記録しておきます。

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リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」によると身体は遺伝子を運ぶための乗り物にすぎない、とのこと。すると、「継承」というのは生物の大きな裏ミッションとなります。

一番原始的な音楽の形は歌(声)ですね。多くの生き物が歌うことができます。

そんな中、楽器演奏は、道具が使える人間の獲得した大発明だったと思うのです。みんな熱狂して、さまざまな楽器を発明し、さまざまなリズムや曲を生み出してきた。

音楽は人の恐怖を解いたり、鼓舞したり、友好の意思を伝えたり、宗教的なエネルギーを召喚したり、現世での精神的な側面を驚くほど豊かにしていきます。

奪い合いと殺し合いに明け暮れていた原始社会が鎮まっていく過程で、音楽の果たした役割はどんなに大きかったか分かりません。音楽は感覚的というより、意図的な存在として多くの役割があった。

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私が今さらウクレレを始めたのも、混乱する社会の中で、音楽の力は意外に強い、という直感があったからでした。昔は音楽なんて無力な娯楽だと思っていたのに。 

私の前世も少し探ってみると、欧州のどこかの舞台で竪琴を弾いている記憶が新たに出てきました。(ウクレレのハワイ伝統奏法は琴の響きに似ている)

あと、私の習っているハワイ伝統奏法を日本に持ち込んだ人についても、その人が前世でどこかの島の王族だったイメージが出てきました。

私の中の利己的な遺伝子が、音楽の継承を求めているんだな〜と、思いました。上手に弾け、というのではなく、音楽の持つ役割(恐怖を鎮める)を果たせ、という感じで。

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