なぜか写真がアップロードできないので、今日は写真なしの投稿です。
怒涛のうちに確定申告が終わり、ボトルネックになっていた仕事も整理し、起き上がれないまま3.11が過ぎ、ひっそりと庭のクロッカスが咲き、水仙も咲き、春が来て…。
□ ■
奈良へお墓参りに行きました。前回中年クライシスの 話をしましたが、まさにこのクライシスにのみ込まれて力尽きてしまった昔の記者仲間、Hさんのための初の墓参でした。
私が25歳のとき、記者として入社2年目に配属された地方支局。その市役所の記者クラブで、1歳上で他社の記者として働いていたのがHさんでした。適度に忙しく恵まれた土地で、私たちは希望と力に任せてのびのびと仕事をしていました。心の病とは一生縁のなさそうなバランス感覚と行動力を持っていた人でした。
人生の折り返し地点で道に迷ったときの闇の世界は、想像以上に深く危うい。ひとたびバランスを崩すと、どんな人でも飲み込まれてしまいそうになるのです。どんな人でも。
Hさんの心のバランスが崩れ始めたのは、中国へ留学して新聞社をやめ、仕事の拠点を中国へ移してからだったといいます。体調を崩しては奈良の実家へ戻り、療養してまた中国へ戻るという生活。無理を重ねるうちに、酒量が増えて体がぼろぼろになっていったそうです。
限界が来て長期休業。やがて退職。中国語のできる記者なら再就職の口はいくらでもあるはずなのに、体力のなさから次のステージに踏み出す力を失い、酒によって閉ざされてしまった心の袋小路から抜け出せず、魔が差したように亡くなってしまったのだと聞きました。
人は限界が来ると、自分の行動を自分で止められなくなる。その不可逆点をいつ乗り越えてしまうのか、自分でも分からないのが恐ろしいところなのです。
■ □
人が突然に亡くなると、周囲の家族の心も不可逆点の向こう側へ大きく引きずり込まれそうになります。だからこそ、生きている人たちは 故人の思い出を語るという名目で集まり、 改めて円陣を組み、こちら側で足を踏ん張らなければいけない。
私たち(当時の仕事関係者)はHさんのご両親と、半日だけでしたが心の円陣を組み、そして解散しました。
□ ■
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 (フリードリヒ・ニーチェ)
怒涛のうちに確定申告が終わり、ボトルネックになっていた仕事も整理し、起き上がれないまま3.11が過ぎ、ひっそりと庭のクロッカスが咲き、水仙も咲き、春が来て…。
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奈良へお墓参りに行きました。前回中年クライシスの 話をしましたが、まさにこのクライシスにのみ込まれて力尽きてしまった昔の記者仲間、Hさんのための初の墓参でした。
私が25歳のとき、記者として入社2年目に配属された地方支局。その市役所の記者クラブで、1歳上で他社の記者として働いていたのがHさんでした。適度に忙しく恵まれた土地で、私たちは希望と力に任せてのびのびと仕事をしていました。心の病とは一生縁のなさそうなバランス感覚と行動力を持っていた人でした。
人生の折り返し地点で道に迷ったときの闇の世界は、想像以上に深く危うい。ひとたびバランスを崩すと、どんな人でも飲み込まれてしまいそうになるのです。どんな人でも。
Hさんの心のバランスが崩れ始めたのは、中国へ留学して新聞社をやめ、仕事の拠点を中国へ移してからだったといいます。体調を崩しては奈良の実家へ戻り、療養してまた中国へ戻るという生活。無理を重ねるうちに、酒量が増えて体がぼろぼろになっていったそうです。
限界が来て長期休業。やがて退職。中国語のできる記者なら再就職の口はいくらでもあるはずなのに、体力のなさから次のステージに踏み出す力を失い、酒によって閉ざされてしまった心の袋小路から抜け出せず、魔が差したように亡くなってしまったのだと聞きました。
人は限界が来ると、自分の行動を自分で止められなくなる。その不可逆点をいつ乗り越えてしまうのか、自分でも分からないのが恐ろしいところなのです。
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人が突然に亡くなると、周囲の家族の心も不可逆点の向こう側へ大きく引きずり込まれそうになります。だからこそ、生きている人たちは 故人の思い出を語るという名目で集まり、 改めて円陣を組み、こちら側で足を踏ん張らなければいけない。
私たち(当時の仕事関係者)はHさんのご両親と、半日だけでしたが心の円陣を組み、そして解散しました。
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怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 (フリードリヒ・ニーチェ)