
現在岡山では、朝鮮学校の校舎跡を使ったアートプロジェクトの真っ最中。実行委員になっている私は、仕事もそこそこに廃校舎へ日参しています。

このプロジェクトは、在日朝鮮人コミュニティーと日本人コミュニティーが共存しているにもかかわらずお互いをあまり知らないという状態を、「お祭り」によって混ぜっ返してみようとする企画です。実行委員になっているのは、岡山ゆかりのアーティストと社会学者とゆかいな仲間たち(私含む)。

展覧会を見ることはあっても、制作時からアーティストの作品に関わるのは初めて。私は手を動かすのが好きなので、気付くと仕事をほったらかしてアーティストさんと一緒にペンキ塗りをしていました(笑)。

アーティストの人たちとすごく気持ちが合うのはどうしてなんだろう。ものをつくっている人はぎりぎりで生きているからかな。生活を切り詰めてでもやるんだ、という強い気持ちと実行力。簡単にお金に換算できない仕事(仕事と呼ばれないこともある)だからこそ、制作を続けることの意味を日々、問い続けている。
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このイベントは展覧会のほかワークショップやカフェもあって、主催側関係者だけでも20人くらいいます。その人達の多くは30代。いろいろな理由で地元を一度は捨てて都市部や海外に行ったけど、定着できずまた岡山に戻ってきたという人が多くて、「いやな地元にまた帰ってきてしまった」感を克服するため、自分たちで生きる楽しみを作りだそうとアートや映画などのイベントをしているのだとか。つまり「人生思い通りにいかなかった後のプチ生き直し」というのが、隠れテーマとしてあるのだということです。
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確かに去年から私の中にも空虚感があったのですが、その正体もふとひらめきました。
私は35歳でアメリカから帰国して、39歳になるまでに個人で事務所を開業でき、業界団体の役員にもなって、仕事もまあまあ入って来るし、ときどきボランティアする余裕もある。あまり儲からないけど、あまり無理しなくてもいい暮らしが39歳にして手に入ってしまい、プチ生き直しがあっさり完了してしまった。余裕の暮らし、いいじゃん。でも…。
本当にここで終わりにしていいんだろうか。体力があるうちに、何か高みを目指してやるべきことが残っているんじゃないだろうか。人生の活動ピークを30代に持って来るのって、ちょっと守りに入りすぎじゃないの?
これから40代の間に、私はどんな新しいことをやり遂げたいんだろう。目標を立てることすら忘れていたということに、今日初めて気がつきました。今後は周りの要望に応じて惰性で仕事やボランティアをしていくんだろうと何となく思っていたけど、空虚さが私を捉えて離さないのは、「あんたの人生、そんな他人頼みでいいの?」という警告だったのかもしれません。
40代。リスクを取ってでも(←こういう発想がもうダメかも)新しいことに臨んでいくんだという勇気が、どれだけ出せるだろう。どれだけ失敗を恐れず夢を描けるんだろう。私、何をしたいんだろう。
とりあえず、やっぱり実家を出よう(笑)。