腹巻(はらまき)を2枚買いました。腹巻、すごい保温力です。これ1枚あると薄着でもかなり大丈夫なので、おしゃれの幅が広がります。隠し味といったところか(笑)。最近の腹巻はほとんどホッカイロ用のポケットがついているので、ドラえもんみたいです(笑)。
そんな腹巻も、下着売り場では新参者に押され気味。新参者とは、腹巻とパンツがドッキングした通称「はらパン」(笑)。腹巻だけだとまくれ上がってしまうからだとか。あと、まくれないよう長ーいチューブ状になったロング腹巻もあります。なぜか10代向けのキャピキャピしたデザインが多いのは、きっと学校は暖房がきかないからだろうな。10代向けコーナーは毛糸のパンツまで健在だもんね(笑)。
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週末は定住外国人の人権をテーマとした講演会へ行きました。在日韓国系の団体「民団」が主催し、自治体が後援しています。副題は『二つの国と民族、どっちも素晴らしい!』。在日3世の落語家、笑福亭銀瓶(しょうふくていぎんぺい)さん、在日の弁護士さん、日本と韓国の研究者がディスカッションしました。
在日社会はぐんぐん進化している!と思いました。二つの国とは日本と韓国のことですが、民団が主催する講演で、「どっちも素晴らしい」と言い放ったことが、まず驚きでした。民団といえば差別と闘ってきた歴史があるので、祖国の誇りを大切にしようという論調はあっても、「日本も素晴らしいと認めよう」という論調は、まずありませんでした。
誤解しないように言っておくと、岡山民団では今、さまざまなイベントを若い3世に任せようという機運がとても強く、恐らくこのイベントも3世スタッフ(20-30代)の意見を中心に作られたのだと思います。差別された世代の人が「過去をチャラにしてお互いを認めよう」といっているのではありません。
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岡山の在日の若者へ行ったインタビューなどによると、在日の若者は、国籍の違いで差別された体験はほとんどないけれど、結婚や就職時にはまだ個人的な差別感情が残っている人もいる、というのが現状だそうです。
日本人から差別された経験ゆえに帰化したくない、という1世や2世に対し、3世の人たちは「自分のルーツを失いたくない。ありのままで生きていきたい」という気持ちで帰化をせず暮らしている人も多いとのこと。
そして、日本で生まれ育ち、帰る場所は日本しかない3世にとって今後必要なことは、今まで受け入れてこなかった「日本」をもっと直視し、日本のことをもっと知り、好きになることだと、パネリストの3世が語っていました。
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差別をなくすにはどうすればいいか、という問いに対しては「民族という問題ではなく、単に他人の多様な価値観を認めるような社会になればいい」と言い、在日の弁護士さんがこんな話をしました。
「ぼくは昨日、湯をわかすとき鍋にふたをするかどうかで妻とけんかになった。これもひとつの価値観の違いで、お互いの価値観を尊重していればけんかにならなかったかもしれない。民族差別の問題を語るなら、まず家庭内の身近な人の価値観を尊重することから始めるべきだ」
がーん。その通りかも、と思いました。民族差別の根は「民族が違うから差別する」ということにあるのではなく「自分とは違う価値観を認めない」ことから始まるのかもしれません。民族の文化とは、固有の価値観の集合体なのだから。
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きっと民団の中でも世代間格差がかなり大きいのだろうと思います。良くも悪くも過去を風化させないことで自分の日本での存在意義を確立してきた1世、2世と、過去を風化させないでおこうとする親のため、民族の対立軸から離れて今と言う現実を直視することが難しかった3世。
日本人として私はどう思っているかと言うと、何というか感無量です。在日の方から見れば、私は「差別した日本人の3世」です。で、日本人3世には何が受け継がれたかと言うと、もちろん差別意識を受け継いだ人もいるでしょうが、私が受け継いだのは「いつかつぐないをしなければいけない」という気持ちでした。でも、何をすればつくないになるのか、今ひとつ分かりませんでした。
在日の方からはよく「まず自分たちの歴史を知ってほしい」とは言われていましたが、いくら歴史を読んでも、じゃあ具体的に何をすればいいのかがピンときませんでした。でも、少し分かった気がします。
少なくとも、一緒に助け合いながらこの日本で生きていくことが、今の私にできるつぐないのひとつになるのではないでしょうか。社会の同じ境遇で暮らせるように。そのことを教えてくれた3世の方々に、とても感謝しています。
□ □
感謝といえば、銀瓶さんはこんなことを言っていました。
「差別された歴史を持つ『在日』を否定することは、自分のおばあちゃんを否定することだから悲しいこと。僕はただ、こんな環境の中に生まれたということを尊重し、生まれてきたことに感謝したい。父母がいなければ僕はいないし、祖父母がいたからこそ僕がいる。たまたま祖父母の代は大変苦しい時代を生きて、それでも自分は生まれることができた。そのことを純粋に感謝したい」
そんな腹巻も、下着売り場では新参者に押され気味。新参者とは、腹巻とパンツがドッキングした通称「はらパン」(笑)。腹巻だけだとまくれ上がってしまうからだとか。あと、まくれないよう長ーいチューブ状になったロング腹巻もあります。なぜか10代向けのキャピキャピしたデザインが多いのは、きっと学校は暖房がきかないからだろうな。10代向けコーナーは毛糸のパンツまで健在だもんね(笑)。
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在日社会はぐんぐん進化している!と思いました。二つの国とは日本と韓国のことですが、民団が主催する講演で、「どっちも素晴らしい」と言い放ったことが、まず驚きでした。民団といえば差別と闘ってきた歴史があるので、祖国の誇りを大切にしようという論調はあっても、「日本も素晴らしいと認めよう」という論調は、まずありませんでした。
誤解しないように言っておくと、岡山民団では今、さまざまなイベントを若い3世に任せようという機運がとても強く、恐らくこのイベントも3世スタッフ(20-30代)の意見を中心に作られたのだと思います。差別された世代の人が「過去をチャラにしてお互いを認めよう」といっているのではありません。
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岡山の在日の若者へ行ったインタビューなどによると、在日の若者は、国籍の違いで差別された体験はほとんどないけれど、結婚や就職時にはまだ個人的な差別感情が残っている人もいる、というのが現状だそうです。
日本人から差別された経験ゆえに帰化したくない、という1世や2世に対し、3世の人たちは「自分のルーツを失いたくない。ありのままで生きていきたい」という気持ちで帰化をせず暮らしている人も多いとのこと。
そして、日本で生まれ育ち、帰る場所は日本しかない3世にとって今後必要なことは、今まで受け入れてこなかった「日本」をもっと直視し、日本のことをもっと知り、好きになることだと、パネリストの3世が語っていました。
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差別をなくすにはどうすればいいか、という問いに対しては「民族という問題ではなく、単に他人の多様な価値観を認めるような社会になればいい」と言い、在日の弁護士さんがこんな話をしました。
「ぼくは昨日、湯をわかすとき鍋にふたをするかどうかで妻とけんかになった。これもひとつの価値観の違いで、お互いの価値観を尊重していればけんかにならなかったかもしれない。民族差別の問題を語るなら、まず家庭内の身近な人の価値観を尊重することから始めるべきだ」
がーん。その通りかも、と思いました。民族差別の根は「民族が違うから差別する」ということにあるのではなく「自分とは違う価値観を認めない」ことから始まるのかもしれません。民族の文化とは、固有の価値観の集合体なのだから。
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きっと民団の中でも世代間格差がかなり大きいのだろうと思います。良くも悪くも過去を風化させないことで自分の日本での存在意義を確立してきた1世、2世と、過去を風化させないでおこうとする親のため、民族の対立軸から離れて今と言う現実を直視することが難しかった3世。
日本人として私はどう思っているかと言うと、何というか感無量です。在日の方から見れば、私は「差別した日本人の3世」です。で、日本人3世には何が受け継がれたかと言うと、もちろん差別意識を受け継いだ人もいるでしょうが、私が受け継いだのは「いつかつぐないをしなければいけない」という気持ちでした。でも、何をすればつくないになるのか、今ひとつ分かりませんでした。
在日の方からはよく「まず自分たちの歴史を知ってほしい」とは言われていましたが、いくら歴史を読んでも、じゃあ具体的に何をすればいいのかがピンときませんでした。でも、少し分かった気がします。
少なくとも、一緒に助け合いながらこの日本で生きていくことが、今の私にできるつぐないのひとつになるのではないでしょうか。社会の同じ境遇で暮らせるように。そのことを教えてくれた3世の方々に、とても感謝しています。
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感謝といえば、銀瓶さんはこんなことを言っていました。
「差別された歴史を持つ『在日』を否定することは、自分のおばあちゃんを否定することだから悲しいこと。僕はただ、こんな環境の中に生まれたということを尊重し、生まれてきたことに感謝したい。父母がいなければ僕はいないし、祖父母がいたからこそ僕がいる。たまたま祖父母の代は大変苦しい時代を生きて、それでも自分は生まれることができた。そのことを純粋に感謝したい」